マニラ日本語キリスト教会 教会ニュース(GRACE)
(2003年7月号)
雨の季節がやってきました
最近マニラは雨季に入りました。日本の梅雨とは違って、マニラの雨は激しいスコールです。夕方頃になると、東の空にどんよりした黒雲が現れます。遥か遠くにあると思っていた黒雲が、いつの間にか頭上を覆っていることに気づいた時はもう遅く、傘を持ち歩かないことの多い私は、激しい雷雨の中で1時間ほど足止めされてしまいます。狭い軒下で雨宿りする間は、何もすることが出来ません。
神様ご自身のあかし
新約聖書の「使徒の働き」の14章によると、小アジアの町ルステラで、パウロとバルナバが行ったいやしの奇跡に驚いた人々は2人を神だと思い、いけにえを捧げようとしました。自分たちを神々としてあがめようとする群衆に驚いた2人は、人々の心が聖書の示す真の神様に向くようにと、大声で叫びました:
「…私たちも皆さんと同じ人間です。…過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
「神々が来た!」と興奮気味の群衆は、パウロたちの語る神様が、自分たちの信じている神々とは全く違うらしいことに気づきました。パウロたちの語る神様は、天と地と海、そこに生きる全てのものを造った創造主だというのです。そしてその創造主なる神様が、恵みをもって自分たちを養ってくださっていること、つまり自分たちを愛してくださり心身の必要を満たしてくださる方であることを聞いたのです。人々は天から降る雨―生ける神様ご自身のあかし―に思いを馳せ、パウロとバルナバにいけにえを捧げるのを思い止まったのでした。
恵みの雨
生活の場がマニラであれ日本であれ、私たちの多くは土から離れて生活しています。季節の雨によって作物の成長が促されること、そして実りの季節になると収穫の喜びがあるということを、私たちはルステラの人々のようには理解しにくいかもしれません。しかし、私たちが聖書のメッセージに応答する時、1時間も足止めさせるようなスコールさえ、天から降る主の恵みであることが分かります。例えば、伝道者としての歩みを始めようとしている私は、雨を避ける人々を眺めることで、「この中に主イエスの十字架を仰ぎ見る人はどれほどいるのだろうか?」と、宣教への思いを新たにさせられます。マニラの突然の雷雨は、急ぎ足の私を立ち止まらせ、時間の流れをしばらく止めて、私の心を主に向けてくれるのです。心を神様に向けてくれる雨、これこそ正に恵みの雨ではないでしょうか。
主に期待
この雨の季節、神様はご自身のあかしを通して何を皆さんに語ってくださるのでしょうか?家族のこと、仕事のこと、友人関係のこと、それとも将来の選択のことでしょうか?主は生きておられます。生ける神様からの素晴らしい恵みの雨に期待したいものです。
先日、「あなたずいぶん明るくなったわね。」という、うれしいお言葉を知人からいただきました。以前の私には、不安な気持ちが顔に出ていたのでしょう・・・
子どもの頃の私は自分に自信がなく、何をやってもだめな子どもでした。平気でうそもたくさんつきました。人を傷つけることもたくさんしました。依存心が強く、新興宗教にも入信していたこともあります。
20歳で、主人と出会い25歳で結婚。結婚式から3週間で、主人は海外出張にでました。主人の仕事は2,3ヶ月単位の出張が多く、残された私は孤独と寂しさと不安でいっぱいでした。2年が経ち、長男が生まれました。一才になる頃から、私に鬱の症状が出てきました。「どうして、私は他のお母さんたちのように、自然に子どもと接することができないのだろう。」たくさん育児書を読んでは、よいお母さんになる努力をしたのに、努力をすればするだけ、心と伴わない自分に失望し落ち込んでいくのでした。
このままでは長男をだめにしてしまう・・・と思い、精神科を訪ねました。よく眠れない・何をしてもうまくできない・気力がでない・落ち込みやすい・といった症状を伝えました。すると先生から、「あなたのお母さんとお父さんはどんな人?」と聞かれました。すると突然涙があふれてきたのです。そのときまで、私の鬱が自分の生い立ちと関係があるとは思いもしませんでした。今まで心の奥に閉じ込めていた幼い頃の記憶が次々に思い出され、恐怖に震えました。私の父親は、自分の機嫌が悪くなるとよく暴力をふるい、家の中ではいつも緊張が漂っていました。その中で、私は何も感じないように心を閉ざしていました。
それから毎週、長男をつれて病院へ通い、薬を飲み、カウンセリングを受けましたが、鬱の状態は長く続きました。子どもの世話もできずにいる自分を情けなく思い、「生きていても迷惑をかけるだけ・・・」と、死ぬことばかり考えていた時期もあります。まだ幼い長男は、元気のない母親を見て、どんなに悲しく寂しい気持ちだったかと思います。ついに寝たきりになってしまったとき、主人は海外から国内の仕事に変わってくれました。毎日長男のお弁当も作ってくれました。こんな状態の私を主人は見捨てずに、いつもやさしい言葉をかけて励ましてくれました。
長男が卒園する頃、フィリピン駐在が決まりました。でもなかなかこちらにくる決心ができずにいました。たくさん悩んだ末、家族3人で暮らせることを選びました。新しい暮らしは、不安なことがたくさんあり、言葉の問題、メイドさん、ドライバーさんとの接し方、学校の方たちとの付き合いなどに、心も身体も疲れてきました。
そんな時、マニラ電話帳で、教会があることを知りました。長男が日本で通っていたプロテスタント教会の幼稚園で、園長先生や教会に見えるお母様方から励まし助けを受けたことを思い出しました。もしかしたらここでも、私の居場所ができるかもしれないと思い、自然と教会に足が向いていました。
教会では皆さんが温かく迎えてくださいました。そしてなによりも、ジュン先生の素敵な笑顔に気持ちが温まりました。それから、先生にたくさん話を聞いていただきました。教会に行き始めた頃は、イエス様が私にとって、とても大切な方だということがよく理解できませんでしたが、教会学校やマナの会でしばらく聖書を学んでいると、楽しくなってきました。いつの頃からか、聖書のことば一つ一つが私の中に入ってくるのを感じました。
「心の貧しいものは幸いです。天のみ国はその人のものだからです。
悲しむ人は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な人は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え乾いているものは幸いです。その人は満ち足りるからです。
哀れみ深いものは幸いです。その人は哀れみを受けるからです。
心のきよいものは幸いです。その人は神をみるからです。
平和を作るものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている人は幸いです。天のみ国はその人のものだからです。」(聖書)
振りかえってみると、主人との出会い、教会での結婚式、教会幼稚園、そしてマニラ日本語キリスト教会と、ずーっと神様とつながっていたことを確信します。神様が、こんな私を見捨てずに、見守り続けて、洗礼まで導いてくださったこと、心から感謝の気持ちでいっぱいです。まだまだ昔の傷を乗り越えられない私ですが、でも今は、昔のように一人で苦しむこともないと、不思議に心が落ち着いています。イエス様にゆだねて、助けをいただくことを覚えたからです。イエス様が、そのままの私を受け入れて、私の罪を許してくださり、私のその罪のかわりに十字架で死んでくださったこと、そして永遠に愛してくださることを心から感謝しています。
「愛するものたち。わたしたちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のあるものはみな神から生まれ、神を知っています。愛のないものに、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、命を得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を使わされました。ここに愛があるのです。愛するものたち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私達もまた互いに愛し合うべきです。」(聖書)
4月21日ケソン市のディリマン聖書教会(DBC)にて挙式。ソーシャルワーカーのカップル。二人とも、それぞれの時にクリスチャンになり、MJCCで洗礼を受けました。現在は京都に在住、新婚生活を送っています。
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」 (エペソ5:25)
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フィリピンはキリスト教国。あちこちに教会があり、ショッピングモールでは、買い物の足を止めて熱心にお話を聞いたりお祈りしたりしているたくさんの人たちを見かけますね。「神様の愛」に触れているひとときなのです。MJCCの教会学校では、聖書のお話を聞いたり、賛美歌を歌ったりして、神様と仲良しになります。「ひとりひとりが『大切なキミ』なんだヨ・・・」と言って愛してくださる神様と出会える教会学校。教会学校は「幼稚科」「小学科」「中学科」があり、年令に合った活動をしています。また、お友達とゲームや工作(木工教室もあるよ)をしたり、毎年バスに乗って郊外へキャンプにも出掛けたりもします。「聖書って何が書いてあるの?」「イエス、キリストって?」「神様ってどんな方?」そんな興味を持ったら、お友達を誘って来てね! ―誰でも大歓迎!−
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私はフィリピンの貧しい地区に住む子ども達が好きです。人なつっこくて、明るくて、とても優しい。そんな子供たちに我が子も逢わせたいと思い、今回のトンド訪問に親子で参加しました。私たちの訪問に備えて一生懸命に練習したと思われるダンスと歌で歓迎してくれたトンドの子供たちも、やはりかわいかった!その能力の高さとキラキラした目に魅了されます。どんな境遇に生まれようとも子供はみんな可能性を秘めた神の子だな、と思わずにはおれません。またトンドのお母さんたちは手作りのパンシットを私たち全員に用意してくれて、生活も大変だろうにこんなにしてもらっていいのかしら、と思うほどの歓待をしてくれました。生活の様子も見させてもらいましたが、本当にこんなところで・・・と絶句するほどなのですから。けれどみんな、しっかり地に足をつけて「逞しく生きている」。こういう場面を見ると、いつも「幸せってなんだろう」と考えてしまいます。生きているのは当たり前、食べられることも、家があることも、学校へ行けることも当たり前、それでもより多くのことを望み、人のことより自分のことを優先して考えてしまう、私たちの価値観って何なのでしょう。我が子も何を感じたのか分かりませんが、こんな不条理が世の中にはあるのだ、けれど人間として基本は変わらないのだ、ということを感じてくれたら嬉しいな。別れ際、走ってきて最後まで手を振って見送ってくれた子供たち、いっぱいの「愛」をありがとう!
今回は、車の止め方特集!
ゆっくり(走って)。 Dahan-dahan! ダハン・ダハン
もう少し向こう(に止めて)。 Doon pa. ドオンパ
ここで(止めて)いいよ。 Dito na lang. ディトナラン
脇によって(止まって)。 Sa tabi lang. サタビラン
ちなみに、しゃべりが早いフィリピン人に「ダハン・ダハン・ラン」と言えば、ゆっくりしゃべってもらえるよ!
どなたでも、御気軽にご参加ください。
礼拝(Worship Service)
毎週日曜日PM 2:00−4:00(ユニオンチャーチにて)
マナの会 初心者の為の聖書の学び
第2/4水曜日AM10:00−12:00 (レストラン・ミロにて)
ルデヤ会 聖書の学び
毎金曜日 AM10:00−12:00 (ユニオンチャーチにて)
教会学校
毎土曜日AM9:30−10:30 (ユニオンチャーチにて)
婦人セミナー
毎土曜日 AM 9:30−10:30(ユニオンチャーチにて)
聖書を読む会 男性の為の学び
毎月1回土曜日
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